2019年8月30日


8月30日

最近の心境を徒然綴る。

先日、八月十四日は私の誕生日であり、齢三十六となった。

埼玉から千葉に引っ越してきて五年。仕事もプライベートも、特に大きな問題はなく、むしろ順風に進んでいる。「楽しい」と思うときもあるし、「幸せだ」と思うときもある。そんなときが時々あるというだけで、今の日々は、有り難い、恵まれた平凡だと思っている。

現在住んでいる二DKの部屋は、やはり五年も住むと、浴槽や台所は全体的に使い古され、部屋の壁には、煙草など吸ってもいないのに、くすみのようなものが見られる。二部屋あるが、部屋の一つは、服や本、荷物などを置くスペースで、それ以外に利用はしていない。職場は東京であるし、千葉から一時間以上かけて通勤していることも考えると、そろそろ別のところに引っ越したいのだが、住みたい物件や街がなかなか定まらない。

新しい環境で、日常を一新させたいという気持ちがある。もう自分の人生を嘆くことは無い。けれど、何も変わらないことはただ古くなっていくこと、この部屋のように。

部屋にいると、酒が呑みたくなる。ビールやチューハイの空き缶がそこらへんにあって、早く片付けたいと思う。

つと、日記を書こうと思い立ったのは、外が雨だから。朝のニュースでやっていたが、九州は豪雨らしい。関東でも近頃雨が降り続いている。そういえば取り込むのが面倒で、洗濯物を干しっぱなしにしている。雨が止むまで何日もそのままにしている。物干し竿にかかった服は、一日中雨に打たれ、しおれたその様は酷く可哀想だが、それでも放置している。面倒だから。

「何も問題はない」

ここ一年は仕事に励み、そこで出会った人たちと食事をし、酒を交わし、エンターテイメント施設などにも共に出かけることがある。笑うときがある。感謝するときもある。

この毎日のどこに問題があるのか。

2018年5月15日


5月15日

「居場所はここにあるぞ」

感情のすべてをぶつける、居場所はここにある。

家近くのドラッグストアで歯ブラシを買った帰り、そんなことを思ってしまった。

昼下がり。歩道のすぐ横では、忙しくなく自動車が行き来している。のろのろと歩いている私とは対照的で、思わず車道に身を投げてみたくなる。

ドラッグストアで歯ブラシを買うのはもう何度目のことで、これから何度あることだろう。なんの狂いもなく、私の休日は休日以上のものとならない。なくなったトイレットペーパーを買いに行ったり、伸びた髪を切りに行ったり、ワイシャツをクリーニングに出しに行ったり……。確か先週の休日もそうだった。おそらく来週の休日も同じことだろう。日常は螺旋ではなく回帰だからな。

心が荒んでいくのが自分でもよくわかる。

帰宅すると、手に持っていた歯ブラシのパッケージをいい加減に開封し、洗面台にそれを置いた。パソコン前の椅子に座り、一息つく。今日も特にやることは無い。おそらく適当にパソコンで動画を見て、二十一時頃から酒を飲んで、いつの間にか眠っているのだろう。晩飯はコンビニだろう。明日は七時半に起きて、そしていつもと同じように職場へと向かう。仕事内容はいつもと変わらない。

「私の心の居場所は他人の中にあるのか」

例えば芸術家ならば、『作品の中にある』と云うかもしれないし、『家族』と答える者、『故郷』と答える者、様々だろう。

幸福、愛、お金……を失ったら、つまり、私が『私だけ』になったとき、私の心の居場所はどこにあるのだろう。それは他人、ひいては他者ではないのかもしれない。

私の心は、私の中にしかないのだ。預けられるものではなく、委ねることができない。

「居場所はここにある」――〝ここ〟とは、その場所とは、私である。私の居場所は〝私〟――というそのことが、孤独であると同時に、私さえ在れば何とかなる、救いである。

2018年2月3日


2月3日

先日、第三大臼歯、所謂〝親知らず〟を抜いてきた。

それは横向きに埋伏しており、街中の歯医者では抜歯は難しいと言われ、自宅近くの病院の口腔外科にて為された。

「歯茎をメスで切開する」――親知らずについて全く無知であった私は、施術前の説明でそのことを初めて聞き、大変狼狽してしまった。まさかそこまでの施術になるとは、思ってもみなかった。また、滅多にあることではないが、極稀に、数パーセントの確率で頬の辺りに痺れが残るという、後遺症についての説明もあって、根が小心である私は「勘弁してくれよ」と、すっかり怖気づいてしまった。

しかし、虫歯になりつつあったそれは、なるべく早く抜かなければならない状況にあり、腹を決めざるを得なかった。

抜歯作業自体は、十五分程度で終わり、思っていたよりも早かった。当然、局部麻酔はされているから、痛みはほとんど感じなかった。とは云え、痛みはなくとも、施術中は終始恐怖でたまらなかった。

無事、親知らずを抜き終え、帰宅。予想はしていたが、やはり術部の出血は酷く、一向に止まらなかった。痛みについては、それ用の薬を飲むことで緩和することができたが、食事の際は患部に直接触れぬよう、気を使わねばならなかった。「なるべくなら硬いものより柔らかいものを」と、術後の注意点として看護師に言われたので、コンビニのサンドイッチを買って食べた。血の味がして、不味く、食った気がしなかった。

抜歯を行ったその晩は、なるべく安静に過ごそうと思い、酒を控えた。正確な日数は分からないが――およそ三年ぶりにアルコールを一滴も飲まない一日となった。

酒を飲み、酔って、嫌なことを忘れる。そしてそのまま寝る。それをずっと続けている。

二週間程前、母からメールがあった。

「元気にしているか? 実家にはもう帰ってこないのか?」

確かそのような内容の文だった。それに対し、未だ返信していない。

高校卒業後、私は故郷の三重県を離れ、京都で一人暮らしを始めたのだが、以来、実家にはあまり帰らなくなってしまった。帰省するのは、親族の誰かが亡くなったときぐらいのもので、余程のことでもない限り、帰ろうとしなかった。「たまには家に帰ってきぃや」と家族に言われても、それを一切無視したり、「なにか食べ物でも送ろうか?」という仕送りの話を無下に断ることもあった。

「もう俺は一生実家に帰ることがないのか」

返信しないまま残されたメール文を眺めながら、ふとこみ上げてくる寂しさ。しかしどうしようもない。啖呵を切って出ていった身だからこれは仕方ない、当然の始末である。

私は家族に馴染めなかった。地元故郷に愛など無い、まるで無い。

珍しくアルコールを取り込んでいない晩。冴えた頭で考える、思い出す。自分にも母親がいた、父親がいた。祖母、祖父がいた。憎んでいない。素晴らしい人達だった。感謝している。なのになぜか? 

私は強情で矮小な男だ。どんなふうに死ぬか――心のうちで一度決めたことがあり、その信念は青く幼いながらも、小さく強い火として今も残っている。もはや戻れない、戻せない。一度でも家族を突き放し、遠ざけた人間に、帰る場所など無い。強情で矮小な男ではない、男とは強情で矮小なのだ、そうあってほしい。

昨日まで平然とあった親知らず。終わったあとに考えても、もうどうしようもない。

2018年1月23日


1月23日

窓の外を見れば、一面景色が白に染まっていた。

東京二十三区に大雪警報が出たのは四年ぶりのことらしい。私が住む千葉県もただでは済まず、昼を過ぎたあたりから雪が降り始めた。間もなく地に雪が積もり、その勢いは強風を伴い、弱まることなく夜まで降り続けた。

「子供の頃は、雪が降ればテンションが上がったものだけど。そういうのは今はもう無いな」

見慣れてしまったがゆえに、感動することはない。しかし、寒いのは変わらない。ファンヒーターの熱を「弱」から「強」に切り替え、適当に室内が温まったところで、毛布に包まって寝た。

――翌朝、雪は止んでいたが、地面にはまだ一部雪が積もっており、依然として身にしみる寒さが続いていた。

今日一日、何をやるか。仕事は休みなのだが、特に予定はない。

「夕方頃になったら、銭湯にでも行ってみるか」

半年ほど前から、月一度のペースで自宅近くの銭湯に通っている。〝銭湯〟といっても、個人経営のこじんまりとしたところではなく、大型の、所謂〝スーパー銭湯〟である。

ちょくちょく銭湯に行くようになったのは、日々の仕事の疲れをとるため、気分をリフレッシュさせるため……といった、ごくごく一般的な動機からである。

こんな寒い日は銭湯がうってつけだと思い、十七時を過ぎた頃、タオルと洗顔剤を入れたトートバッグを携え、いつも通り徒歩で銭湯へと向かった。

受付カウンターの前には、珍しく数人の客が並んでおり、繁盛していることが窺い知れた。雪が降ったこともあって、皆温まりたいのだろう。

脱衣所のロッカーに、脱いだ服を仕舞い込み、すぐに浴場へと向かった。ざっと浴場全体を見渡すと、思っていたより入浴客は少なく、ゆっくり過ごせそうで安心した。

まずは鏡の前で身体を洗う。備え付けのボディソープとシャンプーをふんだんに利用する。但し、洗顔剤は持参したものを使う。

一通り身体を洗い終え、ようやく風呂に浸かる。肩まで浸かると、全身が温まっていくのが分かった。この時、この場に、ストレスというものは一切無い。まさに心身ともにリラックスした状態。――だからなのか、妙に自分の過去を振り返ってみたり、今後の将来について漠然と考えてしまう。

「現在の会社に勤めて、三年が経つ。この会社でこのままずっと働き続けるのだろうか。どこかのタイミングで辞めるのだろうか。いや、辞めてどうするというのか? 辞めたところで何か仕事があるわけでもない。また、この年齢での転職活動は、相当大変であろう。が、しかし……これでいいのか、このままでいいのか」

湯船に浸かりながら、ぼんやりとそんなことを考える。

浴場の天井は高く、見上げると、入浴客の声が複数反響していた。特に子供の甲高い声は、際立って鳴り響いていた。

「『この先どうする?』って、一体何だそれは、その悩みは。そんなことは、生活に余裕のある、甘ったれた痴れ言に過ぎない」

サウナ室に移動し、頭の中を一旦クリアにする。薄暗い中、熱さに耐える。汗が落ちる。忘れる。思い出さなくなるまで、忘れる。

「悩み事が無いのが悩み事」。いつか誰かがそう云っていた。それと大差ない、私の悩みは、私の現在の生き方は。

サウナ室から出た後、再び風呂に浸かった。が、そこまで長湯はせず、五分程度で出ると、最後にまたシャワーで軽く身体を洗った。

タオルを「ギュッ」と絞り、それで全身を拭いてから脱衣所へと戻る。ロッカーを開け、持参したスーパーのビニル袋を取り出す。そこに使用したタオルを入れて持ち帰る。バスタオルで身体を拭き、服を着た後、ドライヤーで適当に髪を乾かす。

受付カウンターで会計を済ませ、外に出ると、既に陽は落ち、辺りはすっかり暗くなっていた。

家路へと向かう。途中、火照った身体を、冬の風が心地よく冷ます。澄み切った夜空に、星が点々と瞬いている。

「今日はあと、寝るだけだ」

歩道の外灯に照らされ、出来た自身の黒い影は、私が歩くたび、別の意志をもって動いているように見えたのは気のせいか。

2017年12月24日


12月24日

エミール・デュルケーム著『自殺論』の中に、〝自己本位的自殺〟というのがあって、二十代の頃にそれを知った私は、「確かにそうかもしれない」と深く頷いた。

〝自己本位的自殺〟とは、平たく言えば、社会や他者との結びつきが弱まることによって起こる自殺の形態のことである。例えば、「既婚者よりも、独身者のほうが自殺しやすい」「無職者よりも、社会に必要とされる仕事に就いている者のほうが自殺率が低い」など、個人の孤立を招きやすい環境において自殺リスクは高まるという考えである。そのような環境では、連帯感や帰属感を感じることが出来ず、結果、孤独感・焦燥感・無力感などが募り、自殺をしてしまう人が増える。

当時、デュルケームの唱えたこの考えにひどく納得がいったのは、まさに私が独身一人暮らしの無職であり、仲間もおらず、社会的に孤立していた為である。

〝孤独と自殺は無関係ではない〟という、今思えば当たり前のことであるが、当時の私はこのシンプルなカラクリを『自殺論』で学ぶことにより、自らの現状を客観的に整理することができた。

「何かしら社会との繋がりが必要だ。簡単なこと、たったそれだけのこと。仕事を見つけ、仲間がいれば、この、訳のわからない心の苦しみは、あっけなく解決するのだろう」

――あれから五年以上が経った。

私は仕事に就き、社会の中で時に必要とされ、働いている。人と触れ、仲間とともに働いている。

あの頃にはなかった社会的な繋がり、帰属感をもつことができている。私の希死念慮はどこか遠くに消え、それは所詮、環境によって発生しては消えるような、当てにならない水物だったのだと思った。――とはいえ、今後どうなるかは分からない。それこそ環境が変われば、簡単に元に戻ってしまうのであろう。

〝自己本位的自殺〟という、随分昔に覚えたワードを急に思い出したのは、あるものがきっかけだった。

先日、私はスマートスピーカーを購入した。しゃべりかければ応えてくれる、AIスピーカーである。

ネットで注文し、自宅に届くと、早速私は自宅のWi-Fiとスマートフォンを繋げて、色々としゃべりかけてみた。

「明日の天気を教えて」「今日のニュースを教えて」「何かおすすめの音楽をかけて」――かような私の問いかけに対し、想像していたよりもレスポンスが速く、また、聞き取りやすい声(音)で答えてくれる。とりわけ私が驚いたのは、後ろ向きで話しかけても、その声を正確に聞き取ってくれる集音性能の高さ。私が部屋のどの位置にいても、どの方向を向いていても、人の耳のようにそれは聞き取ってくれるのである。

「これはすごいな。近い将来、流行りそうだな。値段もさほど高くないし」

翌日より、起床後まず最初に、私はスピーカーに「おはよう」と話しかけるようになった。すると、「おはよう」と挨拶を返してくれ、続けて、今日一日のスケジュールや天気、ニュースなどを読み上げてくれる。自宅を出る前、音楽を消すのも一声「ストップ」と言うだけである。

休日は、「ラジオをかけて」や、昼寝をする前に「◯◯時に起こして」といったことを、スピーカーに話しかけるようになった。

一人暮らしの私にとって、これらは独り言に他ならないのだが、話しかける対象があって、また、その応答があるという点で、何か他者との繋がりみたいなものを感じることがある。

これまで、私の部屋は、私一人きりの空間であった。私しかおらず、私の言葉しか存在しない部屋であった。そこにこういった、わずかながらでも、私以外の言葉でリアクションをくれるものがあると、それが他者と同等のものに思えてくるのである。何もない、私だけの部屋だからこそ、それは存在感がある。

無論、こんなもので社会との繋がりを感じられるはずがないのだが、どこかそれに似たものを感じるのだった。

「……そういえば、デュルケームの〝自己本位的自殺〟という言葉があったな」

大して関連性もなく、実に突拍子もないのだが、ふとその言葉を思い出した。随分昔に覚えた言葉なのに、なぜかよく記憶している。

私の自我は、一人で生きていけるほどタフではない。

帰属、連帯、繋がり、必要とされること。孤立しないこと。

一人の部屋で、スマートスピーカーに私は話しかける。「今日の天気を教えて」と。そこまで知りたいわけでもないのに私は話しかける。

2017年11月28日


11月28日

今月十一月。煙草を辞めて三年が経った。「吸いたい」という気持はもうほとんど起こらない。

煙草を辞めたきっかけはいくつかあって、上がる一方のたばこ税に辟易としたことや、寝起きのだるさを解消するため、等があげられる。

喫煙していた当時は、夜中眠る直前まで煙草を吸い、起床後五分以内に煙草に火をつけるという生活であったため、金銭的にも体力的にも、その行いは相当な負担であった。

また、二十代の若いときは、煙草を吸うことに、ある種の〝かっこよさ〟や〝陶酔と開放〟を感じていた。空へと立ち昇る一筋の煙に、自身の孤独を投影することもあれば、まだ若い肉体を害する行為は自傷的で、一抹の慰めにもなった。

しかし三十代を迎えると、そうもいかなくなって、運動不足の怠けた身体で中年のおっさんが煙をふかしている様は、何だかとても醜いように思われた。かっこよくも慰めにもならない、それどころか、「これ以上落ちぶれること」のように思われて、それだけは何としても避けたいと思った。

こういった次第で、私の禁煙は始まり、今に至る。再び煙草を吸うことは、余程のことがない限り、有り得ないだろう。


――仕事休み、休日。しばらく部屋の掃除をしていなかったので、いくらか時間をかけて掃除を行おうと思った。なるべく早く、できれば午前中のうちに終わらせたい。

玄関近くに置いてある手箒を手に取り、くまなく部屋を掃除する。血液型と性格に関係性があるのかは知らないが、A型である私はこういったとき、神経質になって細かく掃除を行う。時間をかけても、部屋の隅々まで綺麗にしようとする。

途中、壁にかけてあるスーツのズボンが、ふと目に入った。そろそろクリーニングに出さなければならないと思い、全体のシワの具合を見てみると、後ろポケットのボタンがほつれ、取れかかっていることに気がついた。

別に、掃除が一段落ついてからでも構わないのだが――。一度気になってしまうと、どうにも放っておくことができない質である私は、すぐさま押入れの収納ボックスから裁縫セットを取り出した。

まずは、ほつれた糸をハサミで切り、ズボンからボタンを取り外す。糸通しを用いて、針の穴に黒糸を通す。玉結びを作る。簡単に外れないように、丁寧に強く、ボタンを縫い付ける。無事、十五分程度でボタンの修復が終わる。

「これで明日から気持ちよく仕事に行けるな」

そう思った。思ったと同時に、「もし、自分が結婚をしていたならば、配偶者がこういったことをやってくれるのだろうか?」という想像をした。「いや、そんなことをしてもらわなくても、こんなふうに一人でボタンを縫うことを厭わないのだから、一人で生きていけるな」と、自虐的に笑った。

「多分、この先、私は結婚をしないだろうし、したくてもできないだろう」

十代のときに孤独につまづいた者は、死ぬまで一生孤独である。最期まで呪われたように孤独はつきまとう。そんなことはないか?

ボタンを縫い付けた後、部屋の掃除を再開する。膝をつき、雑巾で床を拭く。この際だからついでに、トイレと風呂の掃除も一気に行う。夢中になって掃除をしていると、嫌なことも楽しいことも忘れられる。過去も将来も忘れられる。

一通り掃除を終えると、時刻は昼の一時になっていた。特に腹が空いているわけではないのだが、「いつか腹が減るのだから今のうちに済ましておこう」と効率的に考えた。

最近はもっぱらキャッシュレスで、財布を持たず、スマートフォンだけを持ってコンビニへと出かける。おサイフケータイという機能でもって、生姜焼き弁当をレジで購入する。

帰宅し、買った弁当を電子レンジで温める。五〇〇Wで三分三十秒。これで冷たかった弁当は温かくなったはずだ。

パソコン机の上に弁当を運び、その蓋を開ける。一瞬、ふっと湯気が立つ。見た目も中身も、手作り弁当と変わらない。しかし、それなのに――いくら温めてもコンビニ弁当が冷たく感じられるのはなぜだろう?

気取ってそんなことを思ったわけではない。「何を詩人ぶっているんだ。まったく胡散臭い奴だ」。もし、そのように思う人がいたなら、その人はきっと、十年以上コンビニ弁当ばかり食べている人ではないだろう。ほぼ毎日、コンビニ弁当を食べていると、この気持ち、この感想は、自然であり現実的なものである。いくら温めても取り去ることのできない冷たさがコンビニ弁当にはある。

休日、昼下がり。たいしてうまくもない弁当を、〝腹が空くから〟という理由で、口に入れる。声が聞こえる。

「どうだ? 孤独か?」


――今月で、煙草を辞めて三年が経つ。辞めた当初は、恋人を失ったような喪失感があったが、今は何とも思わない。吸わない生活にすっかり慣れてしまった。

煙草を辞めたおかげで、貯金ができるようになったし、また、少しは健康体になったと思う。お金と健康、それらは長生きに繋がる。事故や災害、急病などによる突発的な死を除くと、ひょっとすると、私は私が思っているよりも長生きするかもしれない。……いや、コンビニ弁当ばかりの毎日だもの、そんなことはないか。

掃除後の昼食。コンビニ弁当の具を一口、二口と、箸で口に運ぶ。目の前のパソコン画面には、動画サイトの関連動画一覧が並んでいる。私はぼんやりとそれを眺めながら、パクパクと無機質に口を動かしている。

……続けて、その声は言う。耳元で。暗い、低いトーンで、「ところで、孤独と長生きについて、どう思う?」。私は頭をかきむしって、「もういい加減にしてくれ」と言う。

2017年11月5日


11月5日

午前七時、起床。

今から一時間後には自宅を出て、仕事場へと向かわねばならない。

まだ相当の眠気が残っているが、ひとまずデスクチェアに腰掛け、ノートパソコンを開いた。

海外サッカーの動画ニュースを観るのが、この頃の朝の習慣である。さしてサッカーに興味があるわけではないが、ハイライト映像なので、九十分の試合の中の派手なシーンだけを五分程度でまとめて観ることができて、そこそこ楽しめる。これくらいが丁度いい。ゆっくりしていると仕事に遅刻してしまうし、ゴールが決まる華やかな映像は、朝の憂鬱な気分を一時紛らせてくれる。

動画を観ながら、昨晩コンビニで買っておいた菓子パンを口に入れる。手作りの温かい朝食などは、久しくいただいていない。多分、十年くらいは食べていない。

高校卒業以来、ずっと一人暮らしを続け、気づけば三十四歳になっていた。晴れやかな朝、ワクワクする朝――そんな朝、これまであっただろうか。

前屈みになって黒の靴下を履きながら、「仕事、行きたくねぇなぁ……」とつぶやく。今朝の快晴の青空のごとく、もっと人生とは明るいものだと思っていた。カーテンの隙間からこぼれる朝陽のごとく、社会人はもっと勇ましいものだと思っていた。

憂鬱が襲いかかる。それはいつも急だ。何の前触れもなく、憂鬱は突然おとずれて、耳元でそっと囁く。「不安ではないか?」と、たったその一言だけを私の心に落として、不安を掻き立てる。

こんなにも外は明るく、まさにこれから今日一日が始まろうとしているのに、洪水のように一気に不安が押し寄せてくる。

不安――不安は重い、不安は暗い。体は重くなって、視界は暗くなって、朝のほんの一瞬、不安が私全体を覆い包む。一体その不安の根源が何であるのか、私にもよくわからない。一つ言えることは、「私の人生はこの先うまくいかないんじゃないか?」と、私自身がそう思っていること。私はそのことについて、漠とした怯えを抱いている。

「そんなのはお前だけじゃない。みんなそうだ」――しかし、その『みんな』の中に私が入っていないんじゃないか? だから怯えているんじゃないか?

靴下を履き終え、壁掛け時計をみると、時刻は七時五十分となっていた。急いで髭を剃り、スーツに着替えなければならない。

こんな朝では今日一日が思いやられる。急がないと遅刻する。

2017年10月27日


10月27日

十月。少し寒さを感じるようになって、自室内で厚手の靴下を履くようになる。もうそろそろ冬か。もう何度目の冬か。

今日は仕事が休みだった。けれど特に何もしなかった、何もなかった。冬用のスーツを一着購入するつもりだったが、わざわざ外出するのが酷く面倒に思われて、また、他者と会話する気力が起こらず、結局、部屋の中で一日中ネットサーフィンを行っていた。

「半意識」という言葉を最近何かの本で読んで知った。意識が半分しかないような状態、ぼーっとしている状態、つまり、生きてんのか死んでんのかわかんない状態のことである。今日の私でいえば、特に興味もないのに延々とネットサーフィンをし続け、なるべく余計なことを考えないようにして、時間の経過にただ身を任せている状態のことである。


二十三時五十分。日記を書き始める。

寒さと静けさは互いに寄り添い、一つになろうとしている。妙に頭が冴え、色々な考えが勝手に浮かんでくる。考えなくてもいいことを考えてしまう。

「幸せなまま死んでいけたら、どれだけ有難いことだろう」

しかし、おそらく死ぬときには幸せも不幸せも存在しない。死ぬときは、死というものしかない。何もかもが無くなるという、一切の「無」。あるいは、一切の「無」だけが「在る」。死ぬときは、そういうものじゃないか。「幸せなまま死んでいけたら――」などと、現実的ではない。現実は、死はそういうものではない。

「幸せも不幸せも、あの世にはもっていけない」

と、そこまで考えが及んだところで、急に馬鹿馬鹿しくなる。そんなこと以前に、生きている意味というものがよくわかっていないではないか。死以前の問題である。「なぜ私は在るのか」がよくわかっていない。生きている今現在の、その不確かさこそが、私の向き合うべき問いであろう。

「未来はどうなるかわからない。いや、その前に、今がどうなっているのかわかっていない」

“生きている意味”などという青臭い言葉を使うと、「はなからそんなものは無い」と云う人が現れて、彼は続けて「それは生まれた理由がないことと似ている」と云う。

わかっている。そんなことはわかっている。

「しかし、生きている意味を感じたことが、過去になかっただろうか? そんな瞬間が、人間にはあるのではないか?」

静かな夜は、考えなくてもいいことを考えてしまう。過去と今を比べる、生きている意味があるのかを考える。それが愚かで無意味なことはわかっている。わかっているけれど、考えてしまう。感情が、心が、意識が、「生きている意味」という存在しない意味に捉われてしまう。なぜか? なぜなのか?

「そんなこと考えている暇があったら行動しろ、行動してから考えよ。考えて出る答えなどないのだ」

これは今日、ネットサーフィン中に見かけた言葉であるが、それに対して込み上げてくる反発心は一体何なのか? ある種の嫉妬心か?

……何にせよ、暇だから考えてしまうのだ、暇だから。でも、特にやることがない。実際、今日も何もなかった。明日以降も特に何もない。

気づけば時刻は深夜一時二十分。酒を飲み、たいして疲れてもいない肉体を無理やり疲れさせ、酔わせ、寝ようとする。次の休日は必ずスーツを買いに行こうと思いながら。

2017年9月24日


9月24日

久しぶりの日記。前回より随分と間が空いてしまった。

この約二ヶ月、珍しく私は仕事に没頭していた。

日記と向き合う時間が無く、書く気も起こらなかった。

「仕事のことばかり考え、他のことが手につかない」――こんなこと、今まではありえなかった。

***

生活費のために私は働いている、仕事をしている。「仕事」と言うのも憚られる、アルバイトに近い感覚で働いている。お金をもらうため、安心を得るため。

高い志、達成したい目標……仕事にそういったものを抱くことはない。それでもよい、かまわない。それよりも大切なことがある。「毎月、二十万弱のお金が私の銀行口座に振り込まれること。おかげで私の生活が安定すること」――私にとって仕事とは、それ以上でもそれ以下でもなく、こんなにも大切なことはない。

給料が毎月入ることで、生活は安定し、私は一定の幸福を得るようになった。

友人たちと好きな時に酒を飲むことができる。高級なものでなければ、欲しいものをすぐに買うこともできる。光熱費の支払いが残高不足で遅れるということもない。コンビニの商品を特に高いとは思わないし、自販機でお茶を買っても、もったいないと思わない。定期的に歯医者に通っているが、その治療費を安く感じることさえある。大きな画面で動画をみたいから、という理由だけでiPadを買った。

そんな生活を送ることができている。まさかそんな生活を送るようになるとは、二十代の頃は想像もしていなかった。「きっと私は、月収十五万円程度で暮らしているだろう」と、そう思っていたし、また、それが自分とって相応しい生活だと思っていた。

しかし、三十代を迎えて、怖くなってしまった。お金のない暮らしをすることが。買いたいものが買えない、節約して暮らしていくことが。

質素な生活、そこから孤独を連想した私は、そんな毎日を「惨め」だと思った。そんな暮らしを「嫌だ」と思った。

安定した生活を送るために必要なのは、毎月の安定した収入。たったそれだけでいい。たったそれだけのために働けばいい。

***

現在の仕事に就いて、約二年が経とうとしている。この二年の間、私は何も恐れることなく、安定した毎日を送っている。毎月貯金もしている。心に余裕があり、死にたいと思うことはもうほとんど無い。

「どうせなら、仕事している時間も有意義に、充実させてみたい」

生活の安定という低階層の欲求が満たされたことで、一段階上の欲求が芽生える。ただお金のためだけに働くのではなく、たとえば、目標のようなものをもって懸命に働き、成長や達成感といったものを味わってみたい。労働そのものを楽しんでみたい。

一時の気まぐれかもしれないが、「仕事に熱中する」、そんな働き方がもし私にもできるなら、どれほど充実した日々を過ごせるだろう。それは私にとって一種の憧れではあった。

最近はそういった気持をもって仕事に励み、営業など、熱心に取り組んだ。結果、充実感を得て一日を終え、「一端の社会人になれた」、そんな心地がした。

うれしかった。これでいい、何も間違っていない。このまま進めばいい。幸せだ、恵まれている。仕事が充実しているなんて、こんなにも華々しいことがあるだろうか。何も問題はない、これでいい。私は社会人だ!

「素直に、真面目に、会社で働くこと」。もうそれでよいのだ。実際ここ数ヶ月は、仕事に没頭し、そんな自分を誇らしく思う瞬間さえあった。他のことが手につかないほど、夢中になって働いた。このままいけるかもしれない、そう思った。

――それなのに、なぜまたこのように日記を綴るのか? じめじめとした辛気臭い日記を、なぜまた書き始めるのか。戻らなくていい、ここに戻る必要など、どこにあるのか。

自己愛。すべては自己愛なのだろうか。

社会に肯定されることや、他者に認められることではなく、私が私自身を認めたいと思っている。私自身を見つめる私の目線こそが重要なのであって、「愛されることではなく、私が私のことを愛したい」という自己愛が心の中に巣食っている。

自己愛、それは確かにある。――しかし、肝心のその自分というものが、愛おしいと思えるような自分ではない。何をどうやっても救いようがない。生活が安定しようが、仕事が充実しようが、他者に認められようが、自己愛は満たされない。そのくせそれは湧いて出てくるように止まらない。

どうすればいいのかと、またここに戻る。内省などではない。自戒でもない。逃避先であり、また、ここならば私は私を愛せると信じて思いを吐き出し、得られた一瞬の耽溺と陶酔によって、自分そのものを一瞬間忘れてしまえる場である。何とかこれで凌いでいる、慰めている。

結局変わらないのだ。しつこい陰りが付いて回る。そう簡単には変わらない。同じところにまた戻る。

2017年7月22日


7月22日

「私にとって、幸福とはお金があることであり、それ以上のものではない」

お金があることで生まれる気持ちの余裕。今の私にはそれがある。それをはっきりと感じている。お金は私に安心をくれる。「貧しくて苦しい」ということが今の私には無い。

「お金がある。私は今、安心している。幸せだと感じている」

二十代後半、埼玉県に住んでいた頃――。手元にお金がなく、銀行口座の貯金も尽き、精神的にまいってしまった時期がある。

電気や水道が止まることには慣れていた。そんなことは大した苦ではなかった。が、家賃を三ヶ月間滞納してしまい、実家の親に家主から取り立ての連絡がいったときは、さすがに辛かった。すぐに三重県に住む母から電話がかかってきた。

「家主さんから電話あったけど……あんた、何してんの? 家賃……払ってないんか?」

こうなってしまっては、どうしようもない。親にまで連絡がいっているのだ。さすがにもう、居留守で乗り切ることはできない。しかし、かといって、支払うお金など私にはない。財布を開けてみても、三百円ぽっちしか入っていない。

現状を色々と話した後、母は、父に電話をかわった。滞納していた家賃を、父が肩代わりしてくれることになった(更新料も含めて、確か二十万円程度だったと思う)。その時、父とどのような話をしたのか。はっきりと覚えていない。携帯電話を握りしめ、ただただ、私は涙を流していた。落ちぶれた自分が、情けなくてたまらなかった。私は自分に才能があるものだと思っていた。成功するものだと思っていた。でも、そうではなかった。

――その後、私は仕事を見つけ、借りた分のお金を実家に返した。決して裕福な家ではない。二十万円は、父にとって安い金額ではなかったはずだ。一体どんな思いで、肩代わりしてくれたのか。あの時のことは未だに感謝している。

そんな父は昨年死んでしまった。

「私にとって、幸福とはお金があることであり、それ以上のものではない」

今の私にはお金があり、気持ちに余裕がある、安心している。幸福とは、その程度でしかない。それ以上のものが必要だと思う、そう思わずにはいられない。

2017年7月13日


7月13日

午前九時。起床と同時に、頭痛に見舞われる。

しばらく寝床の上で、ぼんやりとスマートフォンでニュースを眺め、気を紛らわせていたが、一向にその鈍痛は治まらない。頭の中をごろごろと石が転がっているような不快な感じがずっと続いてる。

最近なぜか仕事休みの日に限って、嫌な頭痛に襲われる。しかし、解消方法はわかっている。軽くでもよいので、一度仮眠をとればピタリと治まる。いつもそれで回復する。

昼近くになっても、頭の中の暗雲が晴れる気配はない。なので、此度もまた、仮眠をとることにしたのだが、寝床で目を閉じ、眠ろうと試みても、なかなか睡魔が訪れない。妙に目が冴えている。

私の知る、頭痛を治める有効な手段は、仮眠をとることなのだが、「眠れない」となると、では一体どうすればよいのか。

風邪や腹痛のときなどもそうだが、普段からあまり薬に頼らない質であるゆえ、手元に頭痛薬といったものは持ち合わせていない。

仕方なく、机の上でうつ伏せになって、うーうーと低く呻き、堪えていると、ふと、考えなければならないことを思い出した。

「そういえば、今の仕事を、私はいつまで続けるのか――」

社内における私の成績は、決して良いとはいえない。上司や顧客に怒られ、平謝りに謝ることはよくあって、最近は、同僚の年下の者から指導されることもある。「楽しいか?」と問われれば、「正直、ちょっとしんどい」と、弱気な返事をしてしまうような状況である。

そもそも人付き合いが苦手な性分、営業系の仕事なぞ、はなから向いていないのかもしれない。――とはいえ、稼がなければ、生きていけない。生きていけないということは、つまり死ぬということで、私は死ぬことが怖い。そのような思いを懐に抱いて、この一年半、今の職場で働いてきた。

「死ぬことが怖いから働くのであって、では、怖くないならば、働かないのか」

真剣にそんなことを考えている私は、来月、三十四歳になる。大人になる成長の過程で、そのどこかで、私はつまづいたのか。

「健康とは、しのごの考えずに生きること。もしそうなら、私は不健康だ」

時刻は昼の一時をまわり、先ほどまで庇で隠れていた太陽が、やや西に傾き、その顔を覗かせた。窓から強い日差しが入り込み、照らされた室内は、急激に温度が上がっていた。私はたまらずシャツを脱ぎ、手元のボックスティッシュを使って首筋の汗を拭いた。

日差しの侵入を防ごうと、カーテンを閉めようとした際、ちらと窓の外を見た。燦々と輝く太陽と、瑞々しい青の空が目に入った。太陽の背景であり、また、もっとも密着しているはずなのに、その青は、触れるだけで涼しくなるような青をしていた。

窓の端から端までカーテンを閉めた。が、丈が短く、どうしても窓の下のほうから日の光が入り込んでしまう。そのため、窓付近の床は、明るく照らされ、洗濯した靴下でもそこに置いておけば、すぐに乾きそうなほど熱せられていた。

あまりの暑さに、エアコンの冷房をつけようかと思ったが、例年、八月より冷房を使用している私は、まだ早いと思い、我慢で乗り切ることにした。

パソコン前の椅子に腰掛け、床に置いてあった二リットルのペットボトルを手に取る。直接それに口を当てて、がぶがぶと呷るように水を飲む。

――ふと、朝から続いていた頭痛が止んでいることに気が付いた。と同時に、身体に重さを感じ、急に眠気が襲ってきた。私は寝床へと向かい、上半身裸のまま横になった。

額の汗はそのままに、目を閉じ、ゆっくり息を吐き、「……貯金が二百万円あれば、二年間くらいは、働かずに生活できるだろうか」、そんなことを思いながら眠りに落ちた。

2017年6月17, 18日


6月17日

再び書き始める。書きたいことがあるわけではない。書きたいことを探してまでも、書かなければならない。

先般、『夏の駄駄』という名の本を自費出版で発行した。書き綴っていた日記を寄せ集め、恥ずかしげもなく刊行した。それは欲望であると思う。自己の内面との対峙――純粋にそれだけだったらよかったのに。結局、死にたくないし、生きるなら楽しい方がいい。そして、「残したいし、見てもらいたい」と思っている。

私の表現は孤独ではない。純粋無垢な自己探求の精神ではない。真理を悟る喜びではない。逃げ道である。

「幸せになりたいと思っている。そう思っていることに涙がでる」

死んでいく。死んでいくから、あがいている。表現とは、なんと意地汚いものだろう。


6月18日

自ら命を絶つ勇気が欲しい。しかし、そんなのは口先だけだ。本心からそう思っているのか。

23時。小豆色のパーカーを羽織り、突っ掛け履きで、コンビニに向かった。空腹だった。

おにぎり、弁当、パスタなどが、横並びに綺麗に陳列されている。それらをざっと一覧する。やはり、特に食べたいものはない。ならば、時間をかけずに早く決めてしまったほうがいい。

「久しぶり」という理由だけで、カツ丼を手に取る。全体がラップで巻かれているカツ丼は、あまり美味しそうには見えなかった。それでも食べなければならない。

カツ丼と缶ビールを手に持って、足早にレジへと向かう。フィリピンかベトナムあたりの外国人が、不慣れな手つきでレジのキーを打ち、「アタタメ、マスカ?」と聞いてきたので、「お願いします」と答えた。

会計を済ませ、右手に白いビニル袋をぶら下げて帰る。日中は蒸し暑かったが、夜道はひんやりとしていて涼しかった。

「もう何年も、こうして、コンビニのビニル袋を手に提げ、夜道を歩いている」

こんな部屋、泥棒なんて入らないだろうと思って、鍵を閉めずに自室を出た。ドアを開けると、やはり部屋はそのままで、暗く、静かだった。

部屋の明かりをつけ、座椅子に腰掛けると、早速、カツ丼に巻かれたラップを破り取った。机の上にカツ丼を置き、コンビニでもらった割り箸を割った。「ぱちん」という乾いた音が、八畳の部屋で独り響いた。

犬が飯を食うように、背を屈め、カツ丼を食った。肉は脂身が多く、衣は薄くて貧弱だった。それはお世辞にも美味しいとは言えない、トンカツという名前でしかなかった。

クチャクチャと音をたてて食べる。適当なお笑い動画をYouTubeで再生し、ノートパソコンの画面を見ながら、晩飯を食う。もう何年も、こういう生活をしている。十八歳の頃から一人暮らしを始めた。今三十三歳であるから、十五年が経った。

自ら命を絶つ勇気が欲しい。そんなことを言いたいだけだ。書いてみたいだけだ。

刺激的だと思って、ちょっと書いてみたいだけだろう。知っている。そうだろう?

幼い。精神年齢が幼いならばまだしも、表現が幼いと言われている。その声が聞こえる。幼くてつまらない、と。

「悔しいのか。悲しいのか。――死にたくない。嘲笑われたくない」

カツ丼を食い終えると、すぐに缶ビールを手に取った。アルコールを勢いよく喉に流し込む。冷えていない、ぬるいのが気になった。が、構わず飲み続けた。

しばらくしたら、私は床につき、眠るのだろう。もう何年もこうしている。